未来へアップデート─“長岡の市民協働”

民主主義の原点
冒頭の和歌 『分け登る~ 』を詠んだのは良寛さんである。
私たち一人ひとりの営みが “社会“を築き上げている(今は市民協働と認識されている)──この事実を、身に沁みてよく知る良寛ならではの一句だが、同様の認識を示してきたのは良寛だけではない。
江戸時代以前から日本一の米どころであった越後平野には、米作を通じて人々が協働し、長らくコメ経済社会を牽引してきた(その真ん中に長岡が位置する)歴史がある。彼らによる生産経済は目を見張るもの※であった。ご存じ上杉謙信が “民”を尊重し、河井継之助が「民は国の本」と云ったのも、市民協働こそが私たちの社会を発展させてきたことをよく知っていたからだ。
※19世紀の人口日本一地域は越後と推定されている
いうまでもなく、民主主義の原点はここにある。「民主主義が自然発生的なもの」であることも理解されるだろう。
※ 良寛の句は『晩年の良寛』和島村役場編集 (1980) から引用した
雪国マインド

かてて加えて、長岡には雪が降る。豪雪となれば、災害状態に近い。
よく目にするのは、スリップして動けない車を、見知らぬ同士が一緒に押したり、スコップを持ってきて雪をどけたりする姿だ。
全くのボランティアで指揮命令系統は存在しない。にもかかわらす、自ずとチームワークが生まれる。
近所の歩道除雪なども自ら進んで勝って出ている市民も少なくない。
私はこれらを雪国マインドによる市民協働と呼びたい。
循環つなげる生ごみ分別
長岡市の生ごみバイオガス発電センター本格稼働は2013(平成25)年、11年前だ。
市民のみなさんには、ずっと週2回の生ごみ分別収集にご協力いただいてきた。
面倒臭いゴミ分別にもかかわらず、成果を上げているのは、ひとえに長岡市民の民度の高さが物を言っていると実感する。心より感謝申し上げます。
今後もよりよい循環社会づくりに向かっての協働を、よろしくお願いします。みなさんの信頼に応えていきます。

市民協働センター開設12年
2012 (平成24) 年の長岡市市民協働条例制定~理念は「笑顔いきいき・協働のまち長岡」~から12年。この間、大手通にあるながおか市民協働センターでは、さまざまな市民活動を支援してきた。活動団体数も当初の100団体から5倍ほどに増えている。

また、近年の子ども食堂などの広がりも刮目すべきだ。
さらには、社会的処方という新しい考え方にも注目したい。
デジタル社会の進展と並行して、人と人が直接出会うこういった市民活動が協働につながることは大変意義深い。 “一人ひとりが主人公” となり、主体的な生き方を若い世代にも見せ、金銭で得られるものとは次元が違う価値を伝えてくれるからだ。尊重し、サポートを推進してゆく。
NAGAOKAから始めよう
最初に言及したとおり、長岡の地にはもともと市民力が備わっていた。
現にも、社会の役に立ちたいと活動されている方たちがたくさんおられる。

一方で、江戸封建期以降、社会全体の安定化と引き換えにイノベーションが起こりにくい縦組織体質が国をおおい続け、80年前には大きな戦争に雪崩れ込んでしまったことを忘れてはならない。この失敗をふまえ、人口拡大がもたらした高度成長期に真に自立したマインドの市民力をもっと磨くべきだったのではないだろうか。この点を怠った結果、日本は失われた30年(40年)をひきずり続けてきた。
これからは、オープンマインドなフラット横社会・広い視点と多様性で補い合う循環社会を実現する正しい姿の “市民協働” が必要だ。
さあ、今、長岡から始めよう!
対立につながる縦割り意識を見直そう!
虐め(ハラスメント)やデマで人心をコントロールするカラクリを見抜き、闊達に生きよう!
(そうだ、自分の意志で協働する市民は群れやマスに流されないものだ)
多世代共生社会(多様な世代が助け合い協働する社会)を築き、サステナブルを実現しよう!
私も70余年を生きてこなければ判らなかったことを是非活かして働きたいと思う。
こうして、目の前の少子高齢・人口減少社会に対応し、山積する問題の解決を提唱したい。
人から人へとつながる(P to P) 新しい市民社会なら、その共感力で未来を平和にアップデートできるだろう。